尊い犠牲2018年08月15日

8月15日は、日本が歴史の流れを見誤って他国を侵略し敗れた日だ。それにも拘わらず、安倍首相は「今日の平和と繁栄が、戦没者の皆様の尊い犠牲の上に築かれたものであることを私たちは片時たりとも忘れません。改めて衷心より敬意と感謝の念を捧げます。」などと訳の分からぬことを言っている。日本が他国から侵略を受け、それを撃退するために散ったというのならいざ知らず、他国をいわれなく侵略し、そこに国民を兵としてあるいは開拓民として送り込んで死なせたのである。「尊い犠牲」どころか、自国政府によって強いられた犬死でしかなく、周辺国にとっては疫病神である。戦前戦後では政治体制が異なるとはいえ、日本政府の行政の長として国民(および周辺国の国民)に謝罪すべきところだろう。しかるに、「衷心より敬意と感謝の念を捧げ」るというのは、これからも犬死にさせますよ、ということでしかあるまい。「衷心より敬意と感謝の念を捧げ」られた者に殺された他国の人々は、一体、どう嘆ずればいいのか。

これに対して、天皇は「終戦以来既に73年、国民のたゆみない努力により、今日の我が国の平和と繁栄が築き上げられましたが、苦難に満ちた往時をしのぶとき、感慨は今なお尽きることがありません。」と述べている。政治的発言のできない地位にある者として、日本が犯した誤りを「戦後の長きにわたる平和な歳月に思いを致しつつ、ここに過去を顧み、深い反省とともに、今後、戦争の惨禍が再び繰り返されぬことを切に願」うと表現するのが精一杯のところなのだろう。

あの戦争を自存自衛のための戦争だという主張があるが、敗戦してなお「今日の我が国の平和と繁栄」があるのだから、その主張には根拠がないということになる。歴史的事実は自存自衛のために戦争を仕掛けるという判断が誤りであった、少なくとも唯一の道ではなかったということであろう。

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