政治家と親切な人2017年01月26日

国会でプラカードを掲げることを巡って首相が野党を批判したそうだ。読売新聞の記事(2017年01月21日 09時25分「批判やプラカード何も生まない…首相が野党に」)には、「安倍首相は20日の衆参両院本会議での施政方針演説で、『ただ批判に明け暮れたり、国会の中でプラカードを掲げても何も生まれない』と述べ、民進党など野党の国会対応を当てこすった。」「民進党の榛葉賀津也・参院国会対策委員長は20日の与野党国対委員長会談で、自民党に『揚げ足を取って細かいことを言わない方がいい。参院ではプラカードを使って反対したことは一度もない』と抗議した。」とある。まるで、自民党はプラカードを掲げたことがないように読めるが、ほかの新聞記事を見ると、自民党も野党時代にプラカードを使っていたそうだ。朝日新聞の天声人語(2017年1月26日)によれば「自民党も野党時代にせっせとプラカードを持ち込んでいる。『議長は公正な議会運営を』『数の横暴は止めよ』『強行採決10回目』。当時の記事や写真を調べてみると盛りだくさん」だそうだ。

自分も野次っておきながら自分が発言しているときは静かにしろと言い、強行採決をしておきながら強行採決をしたことはないと言い、自民党も野党時代にプラカードを掲げておきながら自分が与党になるとプラカードを使うなと言い、沖縄の心を踏みにじっておきながら米軍には沖縄に寄り添ってなどと言い、「法の支配」(「私たちが報じる基本的価値」だそうだ)を唱えながら憲法を無視し、「自由」と言いながら国のために子供を産めと言い、「民主主義」と言いながら国民の過半が反対する法案を強行採決させ、「基本的人権の尊重」と言いながらそれを制限する法案を準備する。こうした相反振りを平然と示せるというのは、一体どういう人なのだろう。

世の中には親切に見える人と親切ではない人がいる。親切に見える人の中には、本当に親切な人と親切だと思っている人と親切に見せている人とがいる。本当に親切な人については言うまでもあるまい。親切に見せている人というのは、人前では親切ぶってはいるが内心ではそうしたくないと思っている人のことである。自分は親切ではないと自覚しているのだが、商売柄あるいは世間体を考えてやむを得ず親切な振りを見せている。親切だと思っている人というのは、自分自身でも自分は親切だと思っているのだが、よくよく分析してみると、単に「いい人」と見られたいがために親切を装っている人である。こういう人は自分の親切が報われないと、つまり自分が親切だと言われないと手のひらを返したように「礼も言わない」などと非難し始めて、キレてしまう。馬脚を現すということだが、親切に見せている人と違って、自分でも親切だと思っているから始末が悪い。ストーカーや暴力亭主の論理と同じである。

昨今の永田町周辺には、「親切だと思っている人」「親切に見せている人」が跳梁しているようだ。「親切に見せている人」は週刊誌の格好の餌食である。「親切」でないことを自覚しているから、報道陣の前で萎れている様子は、たとえ開き直ったとしても、かわいいものだ。しかし、「親切だと思っている人」は始末が悪い。キレたら何をするかわからない。ストーカーのように刃物を持ち出すだろう。「親切に見える」からといって安心してはならない。

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